4月はいつも自暴自棄
4月はいつも自暴自棄
3月末に実家に帰省しました
父の誕生日を祝い、高校の同窓会に出席するために土日で弾丸帰省
私は大変鬱屈とした高校時代を送っており友達もほぼいないのですが、毎年隣のクラスの同窓会に呼んでいただけて本当に感謝しています
日々連絡を取り合うような仲の友人はいませんが、久しぶりに集まると楽しいですね
2クラス計44人しかいない過疎高校だったのに12,3人集まっていてすごい
なにより、参加者の3分の2が知らぬ間に結婚していてびっくりした
私以外は同じクラスで、つまり私は部外者なので知らないことも多いのですが、
「あっみんな結婚式にお互いを招待し合っているんだな…」という場面が多々ありましたが、にこにこして乗り切りました
「あのスピーチよかったよ~!」って言い合っているのを「どんな?」って聞きたいけど、話の腰を折るのも申し訳なくてずっと気になってた
どんなスピーチしたんだい…みんな…
楽しかったことには楽しかったんですが、なんとなく、もし地元を出ずに高校を卒業してから丸9年ここで過ごしていたら確実に狂っていたなと思う
狂いリティが高まっている
SNSやめた
正確にはやめておらず、2日に1回くらいツイッターを見て霊圧を送ることもある
これまでは百害あっても五十利くらいあるならまあ続けようか、と思っていたが、
百害あるなら二百利くらいないと採算が合わないのでは?と思ってやめた
基本は発信も受信もしない
もし今後二百利発生したら再開するかもしれないし、再開しないかもしれない
百害あることに気付いた時点でやめておくべきだった
快・不快分岐点
かつて簿記の勉強をしていた時に損益分岐点という概念を勉強してはいたのですが、それって人間関係にも似たところがあるな、と気づいた
さすがに人間関係に損益とか採算とか言い出すと人間性が疑われるので、快・不快という言葉を使うと
例えば「めっちゃ仲良いし好きな友達と遊ぶことになった」は快ポイントが高いけど
「会場がなぜか知床で平日開催」とかだと行くのに飛行機予約して宿とって有給とって…と考えることがありすぎて不快ポイントも同様に高くなる
この場合自分にとっての快・不快分岐点を合わせるとどうしても「行きたくない」が勝つ可能性がある
「久しぶりに会う同級生にご飯に誘われた」は快ポイントもそんなに高くないけど
「乗り換えなしで行けるくらいの場所」で不快ポイントも低くて、意外と楽しめる可能性もあるし「行ってよかった」に転ぶ可能性高い
現在、休日も体力も貴重であることを考えると、すべての誘いには乗れないし自分にとっての快・不快分岐点は慎重に見極めていきたい
同時に自分がだれかと時間を過ごすときにも相手の快・不快分岐点を超えてほしくない
出来るだけ相手に合わせた場所と、時間と、内容で、と思うけど、少なからず相手に譲歩させてしまう場面もあるし、何より社会と触れ合っていなさ過ぎて誰に会っても嬉しくて自分の話ばかりしてしまう
私と会った人はすべからく不快にさせてしまっていると思うし、不快になった旨を誰かに話しているだろうし、その話を聞いた誰かも私にたいして不快感を持つし、私は誰にも会わず、家で一人でいなければ世界を不快にさせる
壁と話す人生
SNSもやめ、職場でも会話がなく、休日も寝てたら終わるので必然的に人と話すことがなくなり、結果的に壁と話している
日々、とりとめのないことを考えては壁に聞いてもらっている
映画を見に行ったら感想を壁に話すし、嫌なことがあったら壁に愚痴るし、明日晴れると思う~?と聞くこともある
全然壁は返事をしてくれないので寂しい
当たり前だし、壁が返事するのはよくないことなんだけど、壁しか話し相手がいないので壁が返事してくれたらきっと嬉しいと思う
壁は何も話さないのですが、音を発するものとも話しています
TVerです
いつもラヴィット!のOPを見ながら川島さんが「さて、ではおすすめのhogeなものはありますでしょうか」とひな壇に話を振るところで一時停止して
「わたしがおすすめするhogeなものはこちら!」と話し始めるのが日課です
いまは昨日のロンハー見ながらめるるの立ち位置でドッキリに対してコメントを挟んでいます
このまま狂うのかもしれない
というか、すでに狂うしか道はなくてその歩みを遅くすることしかできないのが人生なのかもしれない
自暴自棄の季節
これは持論ですが、4月ほど生きにくい季節はないと思う
なんか空気中にゴミ多いし、異動とか進学とか社会的な変化もあるのに気候も不安定だし「4月だよ!!なんか始めたほうがいいよ!!」みたいな広告ばっかになるし
メンタルヘルスをやっちまってから3年半弱なんですが、ここ最近は本当にメンタルヘルス急性期と同じ場所にいるのを感じる
SNSをやめ、友人たちと距離を置き始め、壁と話しているのもそう
朝起きたら身体が動かなくて仕事を休んでそのまま16時まで寝て、起きてちょっとご飯食べてシャワー浴びてまた寝て
自分の役立たずさを感じて壁に向かっていかに人生を後悔しているかを話して、返事してくれないから泣いたりする
壁も私の話聞いてくれない、家賃払ってるのに
先日、お笑い芸人2700八十島さんの「メンタルの話 完全版」を配信で見ていたらそこで八十島さんが「孤独になってはいけない」と話していたのを思い出しては消化不良を起こす
私は、誰かを不快にさせる可能性が0になるなら孤独でいたいので
4月とかいういろんなものの切り替えの時期だからか、いくら頑張って通院して、毎日薬飲んで、痛い採血我慢してるのにまったく良くならないし、どちらかというと狂いゆく自分を実感すると本当に嫌になる
もう今までやってきたすべての治療を投げ出して死ねたらどれだけ楽だろうと思う
治そうとしているから辛いのであって、もう狂うしかないなら早いうちから何もわからなくなりたい
メンタルヘルスをやっちまってから3年経過しました
メンタルヘルスをやっちまってから3年が経過しました
本当に良くも悪くもなっていないのですが、いつか思い出したい日が来るかもしれないので書いておきます
現状
本当に良くも悪くもなっておらず、相変わらず4週間に1度通院して薬をもらって3,4か月に1度採血されてます
せめて変化が欲しくて日当たりがいい部屋に引っ越しました
今まではいわゆるトーキョーひとり暮らしウサギ小屋ハウスでとにかく狭くて日当たりが悪かったので、多少古くても広くて日当たりのいい部屋に
窓が多いのでちょっと寒いですが、日当たりが悪くて寒いより日当たりがよくて寒いほうがいい、人間も動物だなと感じる
実は1年ほど前に一度減薬したのですが、その時離脱症状が大変で2~3週間ほど許されるなら1日に23時間ほど横になって過ごしたかった
その時はまったく仕事ができなかったので今は減薬に消極的です
あまりにも体調が悪くなったのでもう一度前の量に戻そうかとも思ったのですが、増やしたらまた減らさなきゃいけない日が来てそのときまた離脱症状に苦しむことになるのか…と考えて死ぬ気で身体が慣れるのを待ちました
まー--じでもう増やしたくない
増えても慣れるまでしんどいし、副作用がない薬なんてないのよ
健康は高い!大事にしてこ!!!!!
仕事
仕事まじでわからな過ぎて辛い
全然わからない
時短勤務じゃなかったら毎日あと2時間辛いんだと思うと絶対時短勤務辞めたくない
生きるのにあんまりたくさんお金が必要なタイプじゃないからできるだけ働きたくないような、正直達成感ややりがいもある程度欲しいような…
仕事だけじゃなくて自分のことまでわからなくなる。さらに狂いそう
仕事というか職場の悩みですが、隣の席の人が目に染みるくらい煙草くさいので困っています
喫煙者を悪く言うつもりはないけど、体臭に気をつけられないやつが煙草を吸うとスメルが2乗で辛い
最近嬉しかったこと
引っ越したら市立図書館が近所になったので行くようになりました
公共図書館はすごい
「全部、タダ!!!!????!?!?!?!????」
て叫びだしたくなる
わたしの住民税ここにあったんだ!!読まなきゃ!!って感じ
実質住民税のサブスク、払い甲斐が出てきた
あと世に憚られず友達に会えるようになったのもかなり心の支えになっています
この2年半ほど「捕まらないように着ている」レベルだった洋服たちをどうにかしたくなってきた
痩せたし、みんなに会いたい
あと部屋の契約のときにDisney+が半年間無料になったので毎日プリンセスとピクサー見てる
「天使にラブ・ソングを」が名作で無理、週1で見てる
あとアマプラでワンピースを見ているが、まだ580話くらいであと500話もある
全然追いつかなくて笑う
最近よくないなと思っていること
時短勤務なので金はない!でも時間はあるので許す
一番悪いときと比べるとかなり良くなったのはうれしいし、ありがたいし、通院も服薬も検査も全部さぼっていない自分は偉いと思うけど、よくなったからこそのしんどさもある
頑張れば頑張るほど体調がどんどん崩れていく感覚がまだ指の間あたりに残っていて、何かを頑張ることも踏ん張ることも心身が拒否するうちに、自分が頑張りたいことも踏ん張りたいことも見失ってしまった
本当は心身を守るための選択だったはずなのに、徐々に自分を追い詰めることになり、以前と違った生きづらさがある
そのことに落ち込む日と、今は何か頑張りたい対象が見つかったときのために充電する期間だと自分を励ます日が交互にあります
これはメンタルヘルス由来の悩みなのか、世の27歳も同様の悩みがあるのか?
こういったことに悩みがちだからメンタルヘルスを病んだのか?
誰か教えてほしい
いつまで充電しておけばいいのかしら
その他
歯の矯正が始まって8か月ほど経ちました
いま上の前歯と下の前歯が一番離れているので、麵をすするときは全部一息ですすり切らないと逆流するし麺類以外もまったく噛めないしサ行とタ行とウ段は発音に難がある
ちなみにどれくらい離れているかというと、10㎜くらい差がついている
治療始まったときは8㎜って言われてたのが下の歯が先にそろったから2㎜ほど広がったみたい
定規で見たら1㎝ってちょっとだけど、口の中の数㎜ってめっちゃでかい
早く上の歯そろってほしい…今の計画では上の前歯が動き始めるまであと180日くらいあるらしい…麺類逆流堰き止め前歯への道は遠い
私は何もしていないが、歯並びがよくなっていくのはテンションが上がる
100万くらいかかったことを抜いても!ありがとう歯医者さんと現代技術!
あとは最近本当に酒への依存心が増していてよくない
酒を飲んだ日は眠剤が飲めないので酒を飲めば飲むほど眠れず不健康になってしまう
はやく健康になりたい
健康になりたい
少女を埋める(桜庭一樹著)を読んだ
読んだ
実際にはこの短編集の1作目「少女を埋める」と2作目「キメラ」は文學界の2021年9月号と11月号を購入して読んだので、初めて読むのは3作目「夏の終わり」だけ
わたしはいつも正しくないし、評する立場にはなく、この小説からは片方の意見しか得られないので思ったことだけを書きます
もとより、桜庭一樹の大ファンなので公平な見方はもうできないだろうな、と思う
当時
わたしは桜庭一樹のツイッターをフォローしているので、告知情報として文學界2021年9月号のことは知っていた
でも、あまり文学誌を読む習慣がなかったのでまぁ単行本か文庫になったら読むかぁと考えていた
桜庭一樹はいつも少女を書いているなぁとも思ったかもしれない
事態が変わった、2021年8月25日の朝日新聞
桜庭一樹のツイッターで「事実と異なる部分がある、否定したい」という発信があり、びっくりした
桜庭一樹のツイートはいつも白い老犬と、おいしい食べ物と、映画や本の感想が大半で、もちろん新刊の告知や書評の宣伝もあったが、あまり強いことを言わない人だと思っていた
これは私の勝手な想像だが、自分の小説の批評に対してはいつも受け入れているように見えていた
評者の言っていることに対してあれこれ言うのは無粋としているような印象があり、いつも客観的な立場を忘れないように、自分を律して冷静に、「そのようにも読めるか」と納得するように努めている人だと思っていた
事実と異なる、という書き方に引っかかってよく調べたら、私小説(的)とか、自叙伝(的内容)である、と紹介があり、それでか?と
そこから数時間でいろいろと動いていたようだが、その間わたしはそこまで注目せずに過ごしていた
気が付いたときにはもう、桜庭一樹は強い言葉で評者を非難し、朝日新聞社への語気も強めていた
すっごいびっくりした
いつも老犬白い~!みたいなツイッターしてるのに、どうした!?ご乱心か!?と
確か、先に朝日新聞の書評を読んだ
恥ずかしい話、これまで書評にはまったく興味がなく、なんとなく評というからにはある一つの書籍のあらすじとか、解釈とか、どのように作品として優れているのかまたは優れていないのかを論ずるものだと思っていたので、多くの文学作品を切り取って一つのテーマの枠にはめて文章にするんだ、という初歩の驚きがあった
というか、最初のほうに「私は十代後半から介護をしていて~…」みたいな文章が書かれており二度見した(原文とは異なります)
書評って、書籍に対しての客観的な審査をする場所だと思っていたので…わたしはとても無知だった
(なお、当時の「少女を埋める」は定期刊行物の中の一記事という扱いになるため書籍ではありません、という注釈をつけようか迷ったのですが本筋と関係ないので割愛します)
桜庭一樹が言及していた部分を読んだ
実は、「星の王子さま」も「かか」も読んだことがなかった
「かか」はそのうち読もうと思っていたが、「星の王子さま」は20年位前に読もうとして、やめた
だからなんというか、「へーそんな話なんだー」と軽い気持ちで接していた
続いて、桜庭一樹のnoteで一部公開された「少女を埋める」を読んだ
冒頭から、あ、桜庭一樹の文章だ、と思った
わたしは「桜庭一樹読書日記」シリーズが大好きで、いわゆる文芸作品というより日常の記録なんだろうけど桜庭一樹という人が、こういう本を読んで映画を見て、たくさんご飯を食べて、小説を書いている、同じ時代に生きている人間なんだと感じるのが好きだった
なんなら聖地巡礼とかした
同シリーズは読書日記としても飯系ログとしてもかなり優秀です
「少女を埋める」はその時の文章に限りなく近く、でも確実に桜庭一樹は年齢を重ねているんだ、と気が付いた
そのあともう一度書評を読んだ
桜庭一樹の主張を読み、評者のEvernoteも読み、ツイッターで検索して不特定多数の思想を見た
その中に「noteで公開されていない後半が面白かった」という発言を見かけたのでAmazonで本誌を注文
届くまでしばらくかかったが、後半を読んでうわ~~!!!とどきどきした
読んでよかった
それからも論争は続いており、桜庭一樹のツイッターに疲弊が感じられたが、それでも負けない、と肩に力が入っているようで心配だった
いつか誰かが言っていた「夫婦喧嘩したときはどちらが正しいかではなく、相手を傷つけたことに対して謝る」がリフレインする
家庭の中にある、二人きりの唯一無二同士だからできることでもあるのだろうけど、間に大きいメディアがある限りはそうもいかないのかしら、と悲しく思った
いま
1年ほどたち、なんとなくまだ単行本は読んでいなかった
図書館に行ったときに見かけて借り、最後まで読んだ
論争当時、たくさんの人々のそれぞれの思想に触れ、何が正しいのか正しさとは何なのか、考えるのに疲れていたから単行本が出てすぐ読まなかったんだと思い出した
これを期にもう一度たくさんの人々の思想に触れたら、はやり疲れた
単行本を入手するまで、何度か文學界は読み直した
今年5月に祖母が亡くなったとき、気を引き締めて読んで人との別れについて考えた
「桜庭一樹読書日記」シリーズも読み直した
その中で両親に関する記述を見つけると胸が締め付けられた
「少女を埋める」の中に登場する小説「キリンヤガ」も読んだ。これは本当に面白かった!
SF小説と翻訳小説へのちょっとした苦手意識が払拭された
桜庭一樹のツイッターではまた、ちょっと気の抜けた白い老犬が登場するようになり、長生きしてほしいな、と思った
私小説といえど、実際何があったのかはわからない
書かれているのはすべて主人公である冬子の視野であり、搭乗する彼女の両親や祖母との間に本当にあったことなんて、本来他人である私が知るべきではないのだと思う
いま思い返して、桜庭一樹の主張であった「あらすじと解釈の違い」については衝撃だった
わたしが高校生だったころ、まったく現代文が解けなかった 文系だったのに
文章自体は読めるのに、自分が思っていた方向と違う論になるのが気に入らなくて、脳内でどうにかこうにか補完して捻じ曲げて、結論を変えていた
国語の先生に「自分の望む結論にならなくてもあきらめるな」と言われたのは、これだ!!やっとわかった
きっと今のわたしはあらすじ(文章内に書かれていること)と解釈(文章内の行間を自分で補完して得たこと)の違いがわかる
同時に、未熟なわたしの読み方と新聞の誌上で書評を行う人間が同じところでつまずくわけがないのでは?と混乱する
10年前は、とにかくセンター試験だけは乗り越えなければ、と小手先のテクニックをよく使ったのだが、その一つに書かれていないことを示す選択肢からジャッジする、というのがあった
もし「少女を埋める」が題材になった問題の選択肢に「主人公の母親は闘病中の父親を虐待した」という文言があればそれは正しくない、と思うが、一応△印をつけて保留とし、ほかに合致するものがなければ繰り上げ合格としてマークしていたかもしれない
どちらが正しいのかわからない。正しいことがわからない自分の正しくなさを感じる
あの論争があってから、文章を読むときは「事実と解釈の違い」を強烈に意識するようになった
そうでないと傷つける人が出てくることを実感したからかもしれない
正しいことばかりがいいことではないが、人を傷つけてはいけないという倫理観は大事にしたい
いまならセンター試験で満点取れるかもしれない
もうセンター試験、ないけど
感想
ここからはシンプルに読んだ感想です
また、「キメラ」と「夏の終わり」については言及せず、「少女を埋める」についてのみ書きます
私もまた、閉鎖的な地方の田舎で育った
特に男尊女卑の傾向が強く、「長男だから」と何事も優遇される兄、長女である私
下にぽこぽこ妹、妹、弟が生まれ、そのころから家庭の中の労働力として期待されていたように思うが、空気の読めない自分勝手なガキだったのでよく妹を置き去りにして遊びに行っていた
彼女たちのことはたくさん泣かせたと思う
そして、労働力として期待されない兄を羨ましく思い、私自身も泣いた
主人公である冬子は一人娘だ
私はずっと”一人娘”へのあこがれがある
いつも自分より小さな存在があることで、親から関心を持たれていないと感じれ致し、ある意味事実だと思う
テレビのチャンネル争いも外食の店を決める時も、私には権利がなく、下の子たちが選ぶものを受け入れていた
親戚の家に行くときはたくさんの種類のドーナツが用意されていたが、それも下の子から選び、余ったものの中から自分の好みを見つけ出していた
だから、常に両親の愛をダイレクトに感じられているであろう一人娘になってみたかった
大人になり、自分のテレビを持ち、自分のお金で好きなものを食べられるようになってようやく一人娘への呪縛が解けた
きょうだいが多いのは楽しい
でも、子ども時代に下の子たちをたくさん泣かせたことへの罪悪感があり、小さなことでも頼られると罪滅ぼしができたように嬉しいが、妹たちは「お姉ちゃんはいつも優しいよね」と言うので、また罪悪感が生まれる
主人公冬子と母親の間に、母親と祖母の間に、そして母親と父親の間にもそれぞれ負い目があり、罪悪感があり、被害者意識があり、加害者意識があるのだろうな、と自分のことのように思う
家族という密で閉ざした関係の中で、それらが混ざり合う表現が胸に迫った
また、父親のお別れ会の中で冬子自身が一族の者たちに囲まれて自他の境界が曖昧になったと感じるシーンでは、こんな変なことを考えるのは自分だけではないのだな、と思った
正確には少し前までそんな感覚を持つことが多々あったが、最近はない
代わりに、東京で一人暮らしをしている自分はまぎれもなく私の人生を歩む唯一なのに、実家に帰って法事に出たりするととたんに役割を課されたようで心地悪くなった
長女として、娘として、姉として、一族の者としての役割が私の人生を邪魔するような気がする。自他の境界が曖昧になるのではなく、他に囲まれて自が身動きできず、凍ってしまう
私にとっての共同体の圧力がそこにはある
冬子は先述の小説「キリンヤガ」のストーリーを持ち出して「私は出ていかないし、従わない」と心に決めるが、その様子は私にはまぶしく映る
私は従うことも反発することもなく、ただ黙って出てきた
女の子としてりこうに育ってしまったため、学問を修め、自立しますと耳障りのいいことを言って逃げてきた
多分、もう帰らない
私はまだ、ずいぶん空気の読めない自分勝手なガキだな
医療脱毛した
はじめに
医療脱毛した
全身プラス顔、6回レーザーを当てるコースが終わった
常に暇なので6~8週ごとに通い、8か月ほどで終了としました
いつか迷った自分のために思ったことをメモしておきます
結果
ぶっちゃけ毛はまだ生えてます
もとから体毛は濃いほうではないのですが、それでも全体の毛が弱弱しく、密度が減った感じ
体毛って、毛穴って、6回レーザー当てたくらいじゃ全然死なないんだ!生命力
美容クリニックのお姉さんには「あと5回くらい当てたらとってもきれいになりますよ!」っておすすめされたけどやめておきました
よくなかったところ
1回目から看護師さんに身体を触られるのがとにかく苦痛だった
もともとマッサージとか美容院とか、人間に触られるのが嫌いなのをすっかり忘れていて初回から絶望
脱毛そのものの流れとしては全裸で横になり、お姉さんに体中を電気シェーバーで剃毛されながら水性マーカーで印をつけられ、もう一人のお姉さんにジェルを塗られ、レーザーを当てられ、ジェルを拭き取られる
一番くすぐったくて苦痛だったのは水性マーカーでした
自然と体がよじれるのをマスクで隠れているのをいいことに阿像吽像の顔で耐えた
あと全裸であることへの不安感もあった
クリニックで働いているお姉さんたちはプロなので恥ずかしさはなかったが
「もしいま地震が起こったらこの全裸にマスクすっぴんで逃げなければいけないのか…」
「もし今停電が起こったらどのようにパンツを穿けばいいのだろうか…」
とドキドキしながら1時間半レーザーをバチバチ当てられていた
(何回目からか機械が変わって?全身と顔で45分くらいで終わるようになりました。文明すごい)
痛みもありましたが、くすぐったいほうがしんどすぎて覚えてません
毛が極端に薄いところ(顔の産毛とか)と濃いところ(脇とか)は痛みを感じやすいらしいのですが、そこまでの苦痛はありませんでした
でも顔の施術を受けながら「髭の脱毛ってとんでもなく痛いだろうな…」と感じたのは覚えています
髭って濃いし顔は皮膚が薄いし、めっちゃ痛そう
髭が生えてこない顔でよかった
あと嫌だったとかではないんですが、「背中の毛がかなり薄くなってきてますよ!」という声掛けにはなんて答えるのが正解だったんでしょうね…
背中の毛は見えないしわからないので「アッよかったです…」って返してました
よかったところ
とにかくお姫様みたいに扱われるところ
こちらが全裸で横になっているバカみたいな恰好なのに、隣にひざまずいて話しかけてくれたりとか、体に触るときには「失礼いたします」ってうやうやしく言ってくれることとか
レーザーを当てた後の「お痛みはいかがですか?」ってうかがうような声色とか
ちょっと居心地が悪くなるくらいのお姫様の扱いだった
エステとか整形とか、保険外診療の様々にはハマる人ってこういう扱いを受けることに対しての喜びが入口なのかもしれない…って全裸で考えました
あと、なにより毛が減ってよかった
思うこと
なにより毛が減ってよかったと思います
ただ、あまりにもくすぐったいのが苦痛だったし、渋谷のクリニックだったので通うのが若干手間ではありました
こんな辛い思いをしてまで無くさなきゃいけないものなのか、人毛…
脱毛というとよくCMで「きれいなわたしになって自信が持てる!」という謳い文句があるけど、毛がないことときれいなわたしになること、そして自信が持てることは全員に対してイコールではつながらないので切り離して考えたほうがいい
毛が多少減ってもきれいなわたしになれたという感覚はなく、毛を多少減らすために数十万課金しただけのわたしである
ただ、毛が減ることで自分の理想とするきれいさに近付くとか、剃毛による肌荒れがなくなるとか、そういうメリットもあるので費用対効果は人によるだろうな
あと「肌に数十万かけた」という事実がほかのきれいを後押しする場合もある
ニキビが減ったり、メイクののりがよくなる人もいるみたい
わたしは正直そこまでのメリットは感じなかったので6回で打ち止めにし、あとは生えてくるふわふわの毛とともに生きることにします
と、いうか医療脱毛を始める前までは何回でつるつるの肌になれるんだろうとか、何年も通わなきゃいけなくなったら嫌だなとか、そもそも美容クリニックが途中で亡くなったりしたらどうするよとか考えて頭でっかちになっていた気がしますが
一度はじめてしまえば「ま~こんなもんか~」といい意味で諦めもついて自分の体と肌に向き合えたような気もします
結局人に触られるのが嫌で美容院も行ってないし(1000円カットで切ってる)、あんまり美容医療向いてないってことがよくわかった
これは気付きです
いつも血迷わないようにしよう
継続できないので力がない
継続は力なり
2年間で10㎏痩せた話するね
やったこと
モチベーション
雨乞い作戦
レーシック手術を受けて、後悔するか
検査受けてきた話はこちら↓
コンタクトレンズ代試算してみた
わたしがいま使っているのはワンデー90枚入り(3か月分)
(楽天のセール中に買えたら13,
ただ、
(ざっくりの計算だから許してね!)
だいたい週に5枚の使用として、18週
1年は52週あるので年3回購入するとして、15,000円*
また、半年に一回処方箋をもらいに行く眼科検診が大体2,
1年あたりコンタクトレンズにかけている費用は約49,000円
また、
眼鏡はマジでピンキリなのですが、
それが10,000円程度とします(安いと5,000~8,
つまり、2年で大体49,000*2+10,000=108,
今回のレーシックにかかった費用は
手術代550,000円、交通費等約5,000円で計555,
ふわっと計算したところ、
意外と短いじゃん!
ただ、今はほぼ毎日コンタクトレンズを使用していますが、
とっても素敵な眼鏡と奇跡の出会いをした結果コンタクトレンズを
なんとなくコンタクトレンズの使用が億劫になって使わなくなると
ワンデーじゃなくて2weekにするとか
そういう可能性があった時には元を取れるまでさらに長い期間を要
なので正直、「
そもそもレーシック後視力が再び低下して眼鏡をかける可能性もあ
「将来的に安くなる」
「将来的に安くならなかった」から後悔するの、
なぜそれでもレーシックを受けたかは前回書いたのでそちらをご参照ください
レーシックのプランの選択
私は病院で受けられるうち、最高額ゾーンのプランを選択しました
これはレーシック手術+角膜を強くする施術+
正直ちょっと高いな~と思いました
とくに角膜を強くする施術がなければ確か十数万円ほど安くなった
それでもこのプランを選択した理由は
①もともとの予算が60万円ほどだった
②強度近視(-5D以上)
③後々後悔したくなかった
からです
①もともとの予算が60万円ほどだった
もともとICL手術を受けたかったのですが、虹彩と水晶体の間(
このICLが大体60万くらいだったので予算も大体それくらい
ただ、
となると70万円、予算10万円オーバーは結構アツい
②強度近視(-5D以上)
レーシックは角膜を削って視力を矯正するので、
たくさん削るのが怖いから角膜強くしたほうがいいんだろうな、
③後々後悔したくなかった
もし、手術中や術後なにかあった時に「あ~
これが一番大きい理由です
私は常に「安心と健康は地球よりも重い」と思っており、
「健康が買えるなら1億円でも安い」と考えています
これは人によって安心や健康への価値観が違うので、
なので安心を買うために十数万円支払うのはめちゃくちゃ許容内
リスクについて
手術である以上、リスクは0ではありません
いろんなリスクがあるのはもっと詳しいサイトを参照していただけ
実際私が周囲の方に「実際これはどうなの?」
・スポーツ選手でレーシックを受けて成績が落ちた人がいる件
私は本当にスポーツしないのでなんとも言えませんが…
今後の人生で、おそらく150km/
スポーツをやる人にとっては眼鏡やコンタクトは障害になりえるこ
私からは何の助言もできません、頑張って自分で考えてください
・老眼が早く来る説がある件
これは全く心配してないです
なぜなら老眼はいつか必ず自分の身に起こるから
それに、
対照実験ができるものでもないので
いつか必ず起こることへの心配をしても仕方ないな~と
私は今26歳なのですが、
あと10~15年、
もちろん他のリスク(ばい菌入っちゃって炎症起きるとか、
お医者さんに聞いたところ、
5%が多いと思うか少ないと思うかは人それぞれですし、
後悔しているか
まだ手術を受けて数日なので今後何かある可能性は0ではありませ
現状まったく後悔していません
カードの請求額はすごいことになってるけど(
一生使う目なので、
幸いにも私は95%に入れたみたいですし、
ただ5%
ちなみに手術自体は痛くありませんでしたが、
お金の話
先述のように、お金はかかりました
そして先述のように、一括で支払いました
医療費ローンも組めるみたいですが、
全人類にレーシックをおすすめすることは出来ないけど(
全人類に貯金はおすすめしておきます
今時「貯金はオワコンww」的なことを言う人もいますが、
0円は何億年経っても0円
お金はないよりある方がいい、当たり前体操
手元の現金がなければ1週間で55万円の手術には踏み切れなかっ
「なんでこんなに必死に貯金してるんだろう…」
自分が本当に価値を見出すことのできた健康に対して投資するため
だって社会人5年目所得税率20%範囲前半で26歳で東京→
それでいて今突然死しても学生時代の奨学金一括で返済できるくら
なんか知らんけど、
ちなみに、今年の医療費は155~
住民税の控除額でかすぎ、
実質レーシック10万じゃん
お金は大事だよ!
以上、
3か月くらいで視力も安定するみたいなので、
今は1.2~1.5くらい、小学生以来だぜ
ICLの検査して結局レーシック受けることになりそうで爆笑
近視矯正を受けたいと思った理由
まずICLとかレーシックというのは、いわゆる視力矯正の技法なわけですが
私はものすごく目が悪くて基本眼鏡かコンタクトをしないとマンションのゴミ捨て場にも行けないレベルです
コンタクトの度数は右-5.25、左-4.25で、これで多分コンディションが悪くても1.0か0.9くらい見えてると思います
着脱もそんなに不便じゃないし生活するうえで眼鏡かコンタクトがあれば問題ないかな~とは思っていましたが、下記の理由で近視矯正を考え始めた次第
- 医療費の控除額的にあまり金銭的な不安がないこと
- 災害時等に眼鏡やコンタクトがないと普通に障がい者レベルなのでは?と思ったこと
- いま感じていない不満が今後生まれる可能性があると思ったこと
説明します
1.医療費の控除額的にあまり金銭的な不安がないこと
今年から歯列矯正を始めました
こちらはマウスピースを毎日20時間以上つけ続けるという矯正方法で、早ければ2年くらいで終わる予定です
この支払いを3月に行ったことで、2022年は確定申告からの医療費控除を受けることが確定しました(4月中旬の時点ですでに支払額が96万超えててウケた)
この医療費控除なのですが、
例①:2年間、100万円ずつを支払って計200万円のとき
例②:1年間で200万円支払ったとき
両方支払額は200万円ですが、控除額が若干違います
例①の場合(これが1年分なので*2してください)
例②の場合
(参考:医療費控除簡易計算)
※所得金額350万円は20代後半の平均年収が約361万円という記事を見つけたのでわかりやすいように設定した数字で私の所得金額とは関係ありません
と、いうように合計で3万円の差が出ることに気が付いたのが3月くらい
定期的に内科と心療内科に通院しており、いろいろ検討した結果、今年2022年を医療費最大化の年にすることでできる限りの還付・減税を受けようと決めました
たかが3万、されど3万、ですので
ICLもレーシックも保険診療外ですが、医療費控除の対象です
2.災害時等に眼鏡やコンタクトがないと普通に障がい者レベルなのでは?と思ったこと
最近地震多いですよね
先述のように裸眼だとすべてのものがぼやけており、もし外出先や一人で寝ているときに災害が起こったら、マンションで火災が起こったら、その時に眼鏡やコンタクトを持ち出せなかったらその後の避難生活でかなり不便するのは想像に難くありません
普段から替えのコンタクトや眼鏡を持ち歩くのが最適解だとは思いますが、それが難しいこともあるだろうし
たまに普通に身軽な散歩をしている瞬間に「いま地震起こったら困るな…」と頭のどこかで憂鬱になるみたいな小さいストレスもあるし
あと(これは私だけかもしれないけど)ドラマ「JIN-仁-」を見ているときに
「南方先生、裸眼で生活できる人じゃなかったら生きていけてないな…」とか考えちゃうし、
「無人島に一つだけ持っていけるなら?」って聞かれたときに「眼鏡かな…」って答えなくていいし
裸眼で生活してみたいし…というのもあります
まぁいきなり無人島に一つしか所持品を持って行けないシチュエーションを選ばされるのも災害等に入れさせてほしいな
眼鏡持って行ってもライターでもナイフでも3日くらいで死にそうだし…
3.いま感じていない不満が今後生まれる可能性があると思ったこと
これはこの間1歳の姪子と3歳の甥太郎と遊んでるときに思ったんですが
彼らは近視における眼鏡の重要性を知らないのでめちゃくちゃ汚すし取られるし舐められるし曲げて遊ぶし
コンタクトをしていても砂場ですごい砂煙を起こされて死にそうになるしめちゃくちゃ水もかけてくるけど目薬さす時間をくれない
今は1か月に1回会うかどうかの姪や甥相手なので「かわいい奴らめ」って思えるかもしれないけど、もし仮に今後私が子どもを育てる立場になったときにめちゃくちゃ困るのでは?と気が付きました
あとこれは別の人の体験談を読んで気付いたのは、
もし眼鏡やコンタクトをつけていないタイミング(夜中とか)に子どもが吐き戻しをしたり、熱性けいれんを起こしたりしたときに1秒でも早く異変に気付いて対処することで一命をとりとめる可能性がある、ということ
確かに、弟が小さいとき、一緒に寝てた弟の全体のフォルムをぼんやり視認していたら顔に布団かけてたことがあったので(その時は弟6,7歳くらいだったので自力で脱出できていた、というか寝相が激しくて秒で布団から出て行ってたと思います)
普通に自分がそういう立場になったらリスクを減らしたいだろうな、と
あとは普通の理由ですが、
・コンタクトしてないと化粧できない
・化粧できないと外出られない
・出不精になる
とか、
・毎日「はぁ、約170円のコンタクトレンズを付けている…」と考えてしまう
・毎日「はぁ、約170円のコンタクトレンズを2時間で捨ててしまった…」と考えてしまう
・定期的に「はぁ、約170円のコンタクトレンズがもうすぐなくなる…」と考えてしまう
などもあります(私のコンタクトは1日分約170円程度です)
あとコロナ禍では難しくなってしまいましたが、友達と温泉とか行くと絶対に見失うとか露天風呂が楽しめないとかもあります
いわゆる目が悪くて不便することは全部不便しています
ICLを受けようと思った理由
ICLとは眼内コンタクトレンズ、つまり目の中に専用のレンズを入れて視力を矯正するという方法です
こちらにしようと思った理由の最たるものは
「可逆可能な手術」ということです
レーシックは角膜を削るからもう戻らないけど、ICLは目の中のレンズを出しちゃえば今の目と同じ状況になるじゃん、と思って、できればそっちがいいな~って思ってました
あとは近視が強めのため、レーシックだとめっちゃ削ることになるんじゃ?というのも怖かったので
検査の結果
まあ無料だしとりあえず検査だけいろいろやってもらうか~と思って都内の某病院で検査してもらいました
気球を見たり、眼圧はかったり、よくわからない検査もいろいろやった(カウンセリング込みで3時間くらいかかりました)結果、だいたい下記のことがわかりました
①角膜の厚さは日本人平均くらいでレーシック可能
②乱視もちょっと入ってた(知らなかった)(ちょっとなのでコンタクトや眼鏡で矯正しなくてもいいレベル?らしい)
③強度近視(そんな気はしてた)
④ICLでレンズを入れるための隙間の部分が狭い
まず①の角膜の厚さですが、まじで日本人平均と説明された数値のドンピシャでした
これが薄いとレーシックできないらしい
②乱視はまじで知らなかった
ICLの場合、その病院では片目+5万で乱視も矯正できるらしい
だいたい予算というか、だいたい50~60万くらいでできればいいな~と思ってたので一気に10万加算はちょっと動揺
仮に乱視矯正入れずやったら限度は両目とも1.2くらいとのこと
1.2も見えていたのは小学生くらいまでなので正直それも未知の世界ではあるけどなんとなくのイメージでICLはみんな2.0になれると思ってた(思い違い)
③強度近視、これはコンタクトも-5以上なんでそんな気はしてたのでいったん飛ばします
④ICLでレンズを入れるための隙間の部分が狭い
そんなことあんの???って思ったけど普通によく考えればあり得る話だった
この虹彩と水晶体の間の隙間が右目はまあまああるらしいんですが、左目は隙間が小さいらしい
一応適応範囲内ではあるらしいですが、かなりぎりぎりなのと左右差があることで再手術のリスクが高くなるらしいです
なんかずれちゃったりするらしい
ICLとレーシックに関する誤解があった
まず、もし再手術になったり、眼内レンズを取り出したいと思った時に「可逆可能な手術」だと思っていたが、
目には2回分の手術の負担がかかる(よく考えたら当たり前)
あとこの虹彩と水晶体の隙間が小さい、というのは検査をしないと知りえない情報だったが、そういう人がICLを受けられないというのは知らなかった
あとレーシックになると白内障の手術が受けられないと思い込んでいたがそうではないらしい
地元の眼科ではできなくても専門の機関であれば可能とのこと
それになんとなくのイメージで(これ私のよくないところだと思う、すべてにおいて)
ICLは最先端でかっこいい、イケてる都内OLとしてこっちを受けたい、と思っていた
イケてる都内OLではないのに…思い違いだ…
あとレーシックは失敗が多いとか、やって後悔している、とかいう情報を積極的に取り入れすぎていたと思う
レーシックの症例数とICLの症例数を比べればトラブルの数も違っていて当たり前で、さらに見え方の失敗例は完全に患者主観でもあるので情報の取捨選択に偏りをつけていたとも言える…情報系出身なのにお恥ずかしい
カウンセリングをまとめると、
・左目の状況的にICLもやろうと思えば可能だが、リスクの少ない術式は絶対にレーシック
・強度近視なのでレーシックの場合はできれば角膜強じん化という処置もしたほうがいい
・今のレーシック手術はものすごく性能がいいからおすすめ
って感じでした
このあとお医者さんに診察してもらったら、水晶体が出っ張ってるらしく、かなり眼内レンズと接触の可能性があると追加で説明されました
レーシックの予約してきた爆笑
お医者さんが「いつ受ける?」みたいな感じで聞くので普通に手術の予約取ってきた
ウケる 爆笑
もちろんリスクのことも考えていますが、基本的に自分で下した決断に対してあまり後悔も反省もせず、心配もしない性格だし、去年親知らず抜く手術したときに「こういうリスクが数%の確率で起こります」って説明されて「じゃあそれになったら宝くじを買えばいいということですかね」って返事したくらいには図太いです
最悪働けなくなっても(去年働けない時期もあったことから)謎に生き抜ける自信もある
出来れば夏のボーナスのあとがよかったけど、私は富豪なので一括で支払うことも可能だしまあいっか!と思って親にだけ連絡して、GW中にレーシック受けることにしました
ちょうどコンタクトもあと10枚くらいだしちょうどいいかも(?)
おわりに
実はまだ微妙にレーシック受けるのを悩んでいるので自分の考えていることを言語化して整理しました
死ぬまでの日割りを考えたら一日でも早いほうが安い(毎日約170円のコンタクトレンズ…と考えているのより死ぬ日がわからない分いいかも)し、いつか視力矯正するなら絶対今年だし、
親も反対してないしで受けるか~ってなってます
もし怖くなったらドタキャンしちゃっても仕方ない、自分の心身を健康に保つことが人生には大事なので
ただ、自分が知りえなかった情報が検査でわかったりしたので忘れないうちに書いておきました
来週にはもう裸眼かもしれない、ウケる、爆笑