”推し”と"養い"について考察した結果
社会がある
人が集まればそれは社会である、というのは私の指導教員が言っていた言葉なんですけど
社会人になって約3か月がたちましたね
一緒に社会人になったみなさんはお元気だろうか
精神を病んだりしていないだろうか
もしそれに近いようなことがあれば私には何もできないので早めに病院に行って
ちなみに私は元気です
いま海外に製品を売る課で研修してるんですけど、ありえないくらい英語ばっかやってて心がちょっと辛いけど!!!!毎日酒を欲しているけど!!!!!!
そんな疲れた新米OLが”推し”と”養われ”について考察した
推しを養いたいという気持ち
わたしは立派にオタクをやっているので、もちろん、推しを養いたいという強い気持ちがある
ある日、限定蘭子をガチャで出したときに思った
君を養いたい
それはどういう形であれ、オタクが持ちうる最高の感情だと思っている
推しのためにチケットを買うとか
グッズを買うとか
魔法のカードで課金するとか
ご飯を奢るとか
とにかく愛でる、みたいな金銭を伴わないものでもそれは貢ぎ、それは養い
この「貢ぎたい」という衝動を失った時人はオタクではなくなるのかもしれないと思うし、逆に言ってしまえば自称非オタクでも「このコスメブランド好きすぎて新作出たら自分に似合わなくても買っちゃう」みたいなパリピも「野球好きすぎて年50回ドーム観戦行く」みたいなスポーツマンも、両方それぞれ、「貢ぐ」という言葉以外で表せる衝動があると思う
あと「貢ぎたい」の対象には何か物品と引き換えに幸せなってほしいという気持ちがあるんだろうけど、それと同時に「対象に貢いでる自分」にも満足感や充足感を与えられるんだと思う
これは無限システム、すなわち永久機関
養われたい
先述の通り、わたしは疲れた新米OLである
毎日会社行きたくない音頭を踊っているし、金曜の夜は嬉しすぎてかちかち山の狸ごとく、背中が燃えていても気が付かないと思う
あっ試さなくていいです
ちなみに今日(木曜日の夜)もなかなかうきうきしていて、さっきは「明日はワンピースを着て会社に行くぞのうた」を歌いながら洗濯物をたたみながら踊っていたくらいである
何が言いたいかというと
仕事は楽しくても心から仕事を望んでいるわけではないので、できれば労働はせず生きていきたい
つまり
誰かに養われたいのだ
朝はダラダラして起きて、いつの間にか用意されている食事を食べる
日がな一日、映画を見たり本を読んだり、きれいな服を着て出かけて、趣味に精を出す
夜は誰かが用意した風呂に入り、シャンプーが切れてもほったらかす
誰かが干してくれた布団で眠る
そんな日々を過ごしたい
しかしそんな日々はやってこない!国民の義務!労働!納税!
誰か私の代わりに労働と納税してくれないか!ついでに私の年金も払ってくれ!!!
(全然関係ないけど、厚生年金ってびっくりするほど引かれる、恐ろしい)
でも、気が付いちゃったんだよな
労働し、金銭を稼がないと推しを養うことができない
”推し”と”養い”を考察した結果
自分の生活にも隙がない家計簿でどうやって推しを十分に養えようか…
毎日考察を繰り返していたある日、疲れ切ったわたしにある考えが舞い降りた
わたしが誰かの推しとして養われつつ、
わたしが推しを養えば
これが”真”の永久機関なのではないか…?
これからは誰かの推しとして養われる価値のあるシャカイジンアイドルになりたい
おわりに
疲れたオタクの戯言にお付き合いいただきありがとうございました
良いオタクのみんなは正攻法でお金を稼ぎつつ清く正しく推しに貢いでいきましょう